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概要

shiniya-yamanasi-202201

令和4年1月15日発行 富 士 の 国 シニア 山 梨 だより 新春号( 10)わたしたちは、山梨県老人クラブ連合会を応援しています。中央通り←市川大門駅 JR身延線市川小市川大門郵便局市川中青洲文庫跡碑甲斐源氏発祥の地を歩く市川教会宝寿院熊野神社市川陣屋跡大門碑林公園市川本町駅やまなし歴史散歩 甲斐源氏発祥の地・市川三郷町(旧市川大門町)の歴史と文化を知るウォーキングコースを歩く。 JR身延線の市川本町駅を右手に出てすぐの宝寿院踏切を渡ると目の前が宝寿院だ。夢窓国師の築庭とされる庭園と見事なシダレザクラがある。初代のシダレザクラは夢窓国師が手植えをしたと伝えられる。本堂前には樹齢200年以上の6代目と樹齢50年以上の7代目が並ぶ。 境内には、甲子園で数々の逆転劇を演じて「ミラクル市川」と呼ばれ、一大旋風を巻き起こした市川高校の戦績を刻んだ記念碑がある。 町を一望できる見晴らしの良い墓地の間を抜け、花園院を左手に見て進む。その先を左折して楽園葡萄酒醸造所へ向かって歩く。 楽園葡萄酒醸造所の前の路を右折。左手に見える熊野神社に立ち寄る。熊野神社は、平安時代後期の天永年間(1110~1113年)、新羅三郎義光の三男で、甲斐源氏の基を開いた源義清が館の鎮守社として勧請したのが始まりとされている。この周辺は平塩の岡と呼ばれ、義清が初めて甲斐国に赴任し、居館を設けたことから甲斐源氏発祥の地と言われている。 坂道を進み、市川中学校を過ぎると金川曽根広域農道に出る。目の前が大門碑林公園。中国風な建物は見ているだけでも中国に行ったような気分になる。中国で最も著名な陝西省の西安碑林と山東省の曲阜(きょくふ)碑林の名碑15基が、中国陝西省碑林博物館の監修・制作により復元されている。 公園を出て金川曽根広域農道を西に甲府盆地を眺めながら歩く。市川公園北の信号を右折して四尾連湖公園線を市街地に向かって下る。七軒町踏切を渡り進み、中央通りに出たら右折する。 1888年(明治21年)に市川の町に設立された市川教会がある。建物は桟瓦葺袴越屋根の木造平屋建ての建築物で、漆喰仕上げの独特の外観を持つ。内部は正面に半円形の祭壇を設けて聖餐台が置かれる。1997(平成9)年に国登録有形文化財に登録された。  道路左手に見える山梨中央銀行市川支店横には「青洲文庫跡碑」がある。青洲文庫は、紙問屋・渡辺寿、信、沢次郎の3代にわたって収集した和書、漢籍などのコレクション。明治20年代に私立図書館として開館し、明治期の市川三郷地域の学問の拠点となった。 市川高校、増穂商業高校、峡南高校の3校を統合して2020(令和2)年4月に設立された青洲高校の校名の由来になった。未来の峡南地域の学問の拠点となってほしいという願いを込めて校名としたという。 その先を右折して路地に入り、中央公園横を左折すると市川陣屋跡だ。市川陣屋(代官所)は、巨摩、八代郡を支配するために江戸中期の1765( 明和2)年に設置された。当時は代官の居間に加え、手代取締や公事方などもある立派な建物だったが、現在は御門だけが残っている。ここから市川本町駅に戻る。夢窓国師の庭園とシダレザクラ源義清が勧請した熊野神社中国歴代の名碑書道のまちの中核高校名の由来の青洲文庫跡碑宝寿院のシダレザクラ大門碑林公園熊野神社 市川高校の甲子園の記念碑青洲文庫跡碑 市川教会市川陣屋跡