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概要

shiniya-yamanasi_202010

御勅使橋御勅使川県道甲斐芦安線県道42号御勅使南公園徳島堰桝形堤防水宮神社御勅使川福祉公園将棋頭矢崎家住宅やまなし歴史散歩南アルプス市の将棋頭   治水の歴史を歩くわたしたちは、山梨県老人クラブ連合会を応援しています。令和2年10月1日発行 富 士 の 国 シ ニ ア 山 梨 だ より 秋号(10) 今年も全国各地で大雨による水害が発生した。50年に一度とされる豪雨が頻繁に起きるのは温暖化による異常気象が原因とも言われる。幸い山梨県は大きな水害が起きていないが、これは先人たちによる治水事業のおかげかもしれない。今回は、南アルプス市の将棋頭など先人たちの知恵に触れるコースを歩く。 御勅使南公園をスタート。公園を出て右に進んで突き当りを左折。しばらく農道を歩き、右手に見える住宅団地に向かって右折。水田の中の農道を進む。右側に「将棋頭」の石積みが見えてくる。武田信玄が釜無川の信玄堤(甲斐市)を築堤したのにあわせて、上流の御勅使川の流れを変えるために石積みし、将棋頭を造った。鋭角になった堤の基部があたかも将棋の駒の尖った部分に似ていることからこう呼ばれている。 わかば支援学校入口に、「桝形堤防」がある。暗渠となっている徳島堰がここでいったん地表に出る。旧六科村や野牛島村は、その立地から御勅使川の河原の中で暗渠となっている徳島堰を一度開口して取水しなければならず、増水時にその取水口を守る将棋の駒の形をした堤防が桝形堤防である。 徳島堰は、韮崎市上円井から取水し、旧白根町曲輪田新田までの約17キロメートルの灌漑用水路。江戸時代の商人・徳島兵左衛門が考案して工事に取りかかり、後に甲府藩から命を受けて有野の矢崎又右衛門が寛文10(1670)年に工事を完成させた。翌年に「徳島堰」と命名された。水不足に悩む地域に多大な恩恵をもたらし、現在でも水田だけでなくスプリンクラーに導水され、桃やサクランボの栽培に役立てられている。 徳島堰沿いに歩く。春は桜並木が美しい。徳島堰を完成させた矢崎又右衛門ゆかりの矢崎家住宅の横を通り、水宮神社に向かう。水波能女命( みずはのめのみこと) を祭神とする水害防護の神社だ。天長11(834)年、御勅使川に大洪水があり、多くの村が流された。時の淳和天皇は、勅使を派遣して水神を祀り、 以後、流域各村の鎮守としたといわれている。 神社の横から果樹園などの中を歩き、御勅使川福祉公園を通って、出発地だった御勅使南公園に戻る。御勅使川に沿って横に長い公園内には水遊びができる池がある広場や100種以上のハーブを集めたハーブガーデン、遊具などもあって家族で楽しむことができる。天然芝のラグビー場も有名だ。ここで一休みして帰路につく。御勅使川の流れを変える「将棋頭」徳島堰の  取水口を守る現在も恩恵を もたらす徳島堰水害から守る    水宮神社将棋頭桝形堤防の案内版水宮神社 徳島堰水遊びの池