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概要

shiniya-yamanasi-201902

山の手通り護国神社つつじが崎霊園テニスコート愛宕トンネル英和中・高JR中央本線武田神社長禅寺中区配水場大泉寺武田信虎の墓所武田信玄火葬塚 円光院甲府駅武田通り武田信虎像開府500年武田家の墓所巡りやまなし歴史散歩平成31年2月1日発行 富 士 の 国 シ ニ ア 山 梨 だ より 新春号(10)わたしたちは、山梨県老人クラブ連合会を応援しています。 永正16(1519)年、武田信虎が「躑つ つ じ 躅が崎(現在の武田神社)」に館を移し、城下町の建設に着手したことに始まり、「甲斐の府中」を略して「甲府」と呼ばれるようになった。2019年の今年、500年の節目を迎えるのを機会に、武田家の墓所やゆかりの寺社を巡ってみよう。 スタートはJR甲府駅北口の「よっちゃばれ広場」の武田信虎像前。信虎像は開府500年に合わせて、甲府商工会議所が銅像を企画、制作して甲府市に寄贈した。甲府駅は南口に信玄像、北口に父親の信虎像が設置された。ちなみにJR甲斐大和駅前には信玄の子・勝頼像があり、武田氏三代の像がそろった。 信虎像前を出発して、サドヤの横の坂を抜けて右折。中央線沿いに進んで信玄の母・大井夫人の菩提寺・長禅寺に向かう。長禅寺を出てやや細い上り坂を進むと山梨英和中・高校に出る。ここからは石畳が整備されている。上っていくと右手に現れるのが中区配水場だ。春は桜の名所として開放される。 愛宕神社を左下に見て山の手通りの愛宕トンネルの上を進む。住宅街を過ぎ、華光院を右に見ながら坂道を下り市道に出る。その先を右へ入ると大泉寺だ。総門から本堂までの間の庭園が美しい。武田信玄の父、信虎が自らの位牌所として創建した寺だ。信州で病没したが、孫の勝頼により大泉寺で葬儀が執り行われた。信虎の墓がひっそりとたたずんでいる。 総門に戻り、住宅街を抜けて再び市道に戻り北に向かう。山梨大テニスコートの横を通り、突き当たりを右に行く。山梨大国際交流会館の先を左に進んで武田信玄火葬塚に向かう。三河攻めの途上で病没した信玄の死は三年にわたって伏せられていた。遺体は、武田二十四将の一人、土屋右衛門昌次の邸内に仮埋葬されていた。この塚は、後に甲府代官が発掘して銘が記された石棺を発見した。没後約二百年のことだった。 ここからさらに北進。右手にあるのが円光院だ。信玄の正室、三条夫人が眠る。円光院には、信玄に嫁いだ際に持参した木造釈迦如来像や愛用の鏡などが現存している。ここから西に向かうと右手に護国神社が見える。社殿を出ると武田神社へと続く道がある。この道を抜けて武田神社に向かう。途中には真田幸隆、高坂昌信らの館跡を示す案内板がある。武田神社は、武田家の館である躑躅ヶ崎館の跡にある。この地に館を移したのが永正16年。この地に立つと、東西を藤川と相川に囲まれ、背に要害山を配置していて、ここがまさに天然の要害であったことが分かる。武田神社を参拝し、武田通りを甲府駅に向かって下りて今回の武田家の墓所巡りの散歩を終える。信虎像お目見え武田三代そろうひっそりたたずむ武田信虎の墓所武田信玄の墓没後二百年に発見領国支配の中心躑躅ヶ崎館武田信虎像武田信虎の墓所 中区配水場武田神社武田信玄火葬塚