ブックタイトルshiniya-yamanasi-201702

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概要

shiniya-yamanasi-201702

雲岸寺窟観音ニコリ韮崎小学校韮崎駅にらさき文化村釜無川国道20号線船山橋やまなし歴史散歩小林一三の少年期のゆかり地をたどる 韮崎市で育った大実業家・小林一三(明治6年?昭和32年)。阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者として知られる小林一三の少年期のゆかりの地をたどったJR韮崎駅?雲岸寺・窟観音?  韮崎小?にらさき文化村?ニコリ平成29年2月1日発行 富 士 の 国 シ ニ ア 山 梨 だ より 新春号(10)わたしたちは、山梨県老人クラブ連合会を応援しています。 JR韮崎駅を出発し、JR中央線のガードをくぐり、雲岸寺・窟観音(江戸期の布屋墓地)へ向かう。断崖にある窟観音には階段を上っても反対側の洞窟を抜けても行くことができるが、洞窟ルートで上ってみる。 雲岸寺・窟観音は、七里岩南端の断崖の中腹の一大洞窟にある窟観音。千体地蔵尊など数多くの石仏があり、御堂は室町時代の、岩壁に張り出した珍しい建物。毎年3月下旬には、峡北地方に春の訪れを告げる窟観音祭りが行われる。雲岸寺の庭は、一三たちの遊び場だったという。七里岩の上にある墓地には、一三の母親の墓がある。 雲岸寺を後にして蔵前院、韮崎小へと向かう。一三少年は5歳で公立小学韮崎学校に入学。当時はきちんとした校舎がない時代で、近くのお寺の蔵前院で勉強し、2年後に現在の韮崎小の場所に校舎が完成した。 そこから下宿へ。一三が歩いた霞堤(かすみてい)に寄って上宿へとたどり、「にらさき文化村」へと向かう。一三が生まれたのは「布屋(ぬのや)」という屋号を持つ商家・小林家。当時の河原部村(現在の韮崎市)は南北に長く、北から上宿、中宿、下宿と呼ばれていた。布屋は上宿に本家、中宿と下宿に分家があった。一三が育った上宿の本家の跡地は、現在は「にらさき文化村」になっている。 ここから「ふるさと偉人資料館」がある韮崎市民交流センター「ニコリ」に行って「ふるさと偉人資料館」を見学する。「ふるさと偉人資料館」では、小林一三、保阪嘉内をはじめとする郷土の偉人に関する資料・パネル展示を行っている。しばらく偉人たちの足跡に思いをはせる。 所要時間の目安は約1時間から1時間半。韮崎市内の中心部をめぐるので、交通事故に注意するとともに、家が多いことから迷惑がかからないように十分に気をつけて歩きたい。 一三が学んだ    韮崎小学校 一三の遊び場   雲岸寺・窟観音 ふるさとの偉人の     足跡を知る 本家の跡地に  「にらさき文化村」一三の生家跡の碑(にらさき文化村)雲岸寺・窟観音韮崎小韮崎市民交流センター「ニコリ」小林一三の記念プレート