shiniya-yamanasi-1401

shiniya-yamanasi-1401 page 9/12

電子ブックを開く

このページは shiniya-yamanasi-1401 の電子ブックに掲載されている9ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「電子ブックを開く」をクリックすると今すぐ対象ページへ移動します。

概要:
大井俣窪八幡神社道の駅「みとみ」川浦口留番所跡万力公園恵林寺山梨市駅東山梨駅雁坂トンネルやまなし歴史散歩かりさかみち雁坂トンネル?万力公園 武蔵の国と甲斐の国を結ぶ「かりさかみち」「秩父往還」とも呼ば....

大井俣窪八幡神社道の駅「みとみ」川浦口留番所跡万力公園恵林寺山梨市駅東山梨駅雁坂トンネルやまなし歴史散歩かりさかみち雁坂トンネル?万力公園 武蔵の国と甲斐の国を結ぶ「かりさかみち」「秩父往還」とも呼ばれる古道は、信玄の軍用道路「甲斐九筋」の一つである。わたしたちは、山梨県老人クラブ連合会を応援しています。(9)新春号富士の国 シニア山梨だより平成26年2月1日発行 はるか昔、東征を終えた日本武尊も酒折宮からこの道を通り雁坂峠(2082㍍)を越え、碓氷峠を越えて尾張に帰ったという。国道140号となったこの道は、かつて開かずの国道と言われたが、平成10年に雁坂トンネルが開通。以来絶好の観光ルートとなった。 11月末、抜けるような青空、雁坂トンネルを起点に山梨市の万力公園に向け車でたどった。 料金所の先のトンネルを抜けて大きく左にカーブすると、まず目に入るのが道の駅「みとみ」。1月にオープンする併設の「いちごハウス」は、県外からの観光客に人気だという。 右手に広瀬湖を見ながら道は、三富温泉郷へと入って行く。道の左手に目に入るのは「川浦口留番所」だ。甲斐九筋の一つのこの道には、南北朝時代の永徳4年(1384)、早くも関所が設けられたと伝えられる。その後、江戸幕府が設けたのがこの口留番所、「番屋」とも呼ばれた小さな関所だ。15坪の敷地に番屋と門が設けられ、番人は1日2人ずつ24時間交代で任務にあたったという。 本物は、少し離れた場所にあったそうだが、平成6年に山梨市の手でここに復元された。かみしもを着た番所役人の像も展示してあり、往時の様子が偲ばれる。一度立ち寄って見てはどうだろう。 また、ここ川浦の温泉は、鎌倉時代に発見されたと伝えられるが、本格的に整備したのは信玄公だという。永禄4年(1561)5月10日に信玄公が発した「川浦の湯」を整備せよとの下知状が恵林寺の宝物館に所蔵されているというから、由緒正しい信玄の湯とも言える。 川浦温泉を過ぎると右手に、名物の「いのぶた料理」で知られる「民芸茶屋 清水」が見えてくる。テレビや新聞にも取り上げられる有名店だ。腹ごしらえにと店に入る。「いのぶたラーメン」「いのぶた肉めし」などメニューは豊富。おかみさんに勧められて「いのぶたほうとう」を注文した。手打ちの生めんに自家製みそが良く合って絶妙な味わい。いのぶたの肉やカボチャなどの野菜もたっぷり入っていて体が温まる。お腹が満足したところで先を急ぐ。 恵林寺まで下ってくると、家々の軒に、オレンジ色のカーテンが。甲州市松里は、ころ柿の産地である。その見事な色に引き寄せられ、作業をしているおばさんにころ柿の出来を聞いた。このところの晴天と寒さで、味が乗って来ているそうで、12月中旬には、白い粉を吹いた飴色のころ柿が出荷できるとのこと。「景気も上向いて来たので、今年のお歳暮には値段も期待できそう」と笑顔で話してくれた。 更に国道を下ると、右手に勇壮な焦げ褐色の大鳥居が目に入って来る。この鳥居、最上部の横柱に屋根、両側柱に支えのある鳥居、広島の厳島の大鳥居と同じ形の両部鳥居だ。国指定重文で、なんと武田信虎の時代、天文4年(1535)頃に作られたのだという。その47年後の天正10年(1582)4月3日、信長の兵火により恵林寺が灰燼に帰したと言われるので、この鳥居は、その織田勢を見ていたことになる。大井俣窪八幡神社に立寄る。 初冬の日が陰って来た頃、目的地、万力公園へ。ここは武田信玄の水防の遺産。「万力」という地名も防水林や雁行堤防を造った当時の人々により、「万人の力を合わせ強固な堤を造り守っていく」という願いを込め名付けられたのだという。改めて、先人の努力で今、我々が生かされているという感を深くした。 公園の根津嘉一郎氏の銅像の近くの売店で、コーヒーをすすりながら、歴史に思いをはせ、歴史散歩を終えた。観光客に人気の  いのぶた料理江戸幕府の  川浦口留番所初冬の風物詩ころ柿のカーテン国指定重文の鳥居大井俣窪八幡神社信玄の水防の遺産万力公園へ川浦口留番所国指定重文の大鳥居人気の「いのぶたほうとう」