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Vol.7 Iki Iki So-kai Interview いいき爽快インタビューきわたしたちは、山梨県老人クラブ連合会を応援しています。(11)秋号富士の国 シニア山梨だより平成26年10月1日発行1946年生まれ。山梨日日新聞社記者....

Vol.7 Iki Iki So-kai Interview いいき爽快インタビューきわたしたちは、山梨県老人クラブ連合会を応援しています。(11)秋号富士の国 シニア山梨だより平成26年10月1日発行1946年生まれ。山梨日日新聞社記者、取締役編集局長、山梨放送取締役、アドブレーン社常務などを経て2001年にヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ代表取締役社長、12年同代表取締役会長。Jリーグ監事、同理事などを歴任。県民に支えられてJ1で戦う海野 一幸 氏株式会社ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ代表取締役会長― ヴァンフォーレ甲府の社長に就任された経緯は。 ヴァンフォーレ甲府は、山梨にプロのサッカークラブを立ち上げようと1997年に発足しましたが、発足後4年間で4億円の負債を抱え、債務超過に陥りました。観客席はガラガラで、615人という当時のJリーグ最少観客数を記録し、さらに25連敗という最悪の試合記録までつくりました。新聞に「甲府が消える」と書かれました。しかし県民の間には「プロスポーツの火を消すな」との声も高まっていました。 私が社長に就任したのは、こうした危機的状況の中でした。スポンサーやサポーターの獲得に奔走。最下位だった成績は05年には3位となって入れ替え戦に進出し、初のJ1昇格を果たしました。平均観客数も99年にわずか1469人だったのが、毎年1万人を超えるようになりました。経営も01年からは黒字が出るようになり、06年に債務超過を解消して、昨年まで13期連続の黒字となっています。倒産寸前だったクラブが、存続の危機から復活し、ピンチをチャンスに変えてきました。― チームが発展した要因は何だとお考えでしょうか。 その原動力は、地域貢献だと考えています。選手らによる地域イベントへの参加数は、年間300回以上になります。Jリーグの調査では、地域貢献度が全クラブの中で6年連続でトップ。地域に助けられたチームが、地域に還元するのが当然と思っています。― 3度目のJ1昇格となった昨シーズンは残留して今シーズンもJ1で戦っています。県民の関心は大きいですね。 大都市にあるビッグクラブが多いJ 1のチームの中で地方のクラブが戦っていくのは大変ですが、昨年残留できたのも県民の皆様の大きなご支援、ご声援があってのことと感謝しています。今シーズンも厳しい戦いをしていますが、J1に残留してさらに上位を目指すためにも一層のご声援をお願いします。― 専用スタジアム建設の動きも高まっていますが。 サッカー、ラグビー、アメリカンフットボールなどの「総合球技場」が必要だと考えています。県民の皆様に署名をお願いしたところ、多くの方に賛同していただきました。建設実現への機運を高めていきたいと考えています。― 老人クラブの会員にひと言お願いします。 サポーターの中には高齢の方も多く、なかには「ヴァンフォーレ甲府が生きがいだ」とまで言う熱心な方もいます。スポーツ観戦は健康のためにいいし、老人クラブの皆様もぜひスタジアムに足を運んでいただき、応援をお願いします。 サッカーJリーグのヴァンフォーレ甲府を経営危機から救い、全国のJリーグクラブからお手本とされるような経営手腕を発揮したヴァンフォーレ山梨スポーツクラブの海野一幸会長。山梨県民にとってなくてはならない存在にまでなったヴァンフォーレ甲府について、海野会長に伺いました。