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わたしたちは、山梨県老人クラブ連合会を応援しています。平成25年2月1日発行富士の国 シニア山梨だより新春号(8) 平成24年の8月、南部町の望月美津さんが満百歳を迎えた。夫である英夫さんも平成22年5月に百歳....

わたしたちは、山梨県老人クラブ連合会を応援しています。平成25年2月1日発行富士の国 シニア山梨だより新春号(8) 平成24年の8月、南部町の望月美津さんが満百歳を迎えた。夫である英夫さんも平成22年5月に百歳となっており、ご夫婦揃って百歳超えという文字通りのご長寿夫婦となられた。お二人は百歳直前まで英夫さんは俳句、美津さんは和裁と夫婦それぞれが得意とする分野で活躍している。望月さん宅の居間で、お二人の百年の物語をお聞きした。 夫・望月英夫さんは神奈川県鎌倉市で誕生した。英夫さんの父親は日露戦争の折には主計として活躍した人で兵役後は師範学校の事務官、札幌や浜松の鉄道管理局等を異動した転勤族であった。 そのため英夫さんは小学校低学年を北海道で過ごし、次の転勤先の静岡で小学校を卒業、磐田にある県立見付中学校(現・県立磐田高等学校)を卒業。鉄道学校大学へと進む事を決めていた。しかし、その矢先、肺炎を患い父親の故郷である南部町へと帰ってきたそうだ。 その後、東京へ出て東京光学機械株式会社へ入社。財務課で活躍したが、戦後、会社が軍需工場だという事で解体され、再び南部町へ美津さんや家族とともに帰郷したそうだ。 帰郷後は働きながら10代の頃から嗜んでいた俳句に力を注ぐ。 昭和9年、報知新聞社が主催した「第2回報知懸賞俳句」に応募。全国から23万1千件の投句があり、その中から百選に選ばれた。 「『口あいて 鮎のおとりの 弱りけり』という句が百選に選ばれた俳句です」と英夫さんは当時の事を思い出しながら教えてくれた。息子の藤一さんが「その時の賞状がこれです。この賞が励みになって、望月葉桜の名で多くの俳句を父は詠みましたね。産経新聞や山梨日日新聞にも投句し、年間賞に選ばれた事もあったようですよ。峽南地区で、望月葉桜といえば有名で、当時は様々な人に俳句の楽しみを教えていたそうです」と英夫さんの活躍を話すと美津さんが、「よく近所の中学生や高校生が『おじさん、これどう?』と聞きに来ては、『ここはこうした方がいいね』と教えていましたね」と家族で微笑みながら、英夫さんの俳句人生を振り返ってくれた。 一方、美津さんは、千葉県の市川の国府台駅のすぐそばで生まれ育った。尋常小学校を卒業した後、大妻高等女学校に進学し、和裁を学ぶ。「卒業の時に、4年制になる事が決まりましてね」と言いながら、大正15年に10周年を迎えた時の記念に貰った文鎮を見せてくれた。「思い出の品ですね。大妻コタカ先生が講演していたのを覚えています。当時は、女性は学問より家庭が大切という風潮が強く卒業後、和裁の専門教室に通いました。10畳の間に生徒がいっぱいいましてね。石原先生といって、あの頃では珍しく男の先生から和裁を教わりました。更に珍しい事に男の子が和裁を習いたいと教室に来ましてね、先生が大喜びしたのを覚えています」と昨日の出来事の様に語ってくれた。 「最近は和裁というより洋裁ですよね。髪型も昔は髪を結っていたのが、おかっぱになって。若い人は髪にヘアアイロンを当てたりしてね。時代は変わりますね」と時の流れの速さを話しながら、家族で笑い合っていた。 ご夫婦ともに百年以上の年月を過ごしてきた英夫さんと美津さん。帰り際、玄関までお見送りをしてくださった。自家製のブルーベリージャムを手渡してくださり、「ブルーベリーの美味しい季節になったら、またいらしてください」と嬉しい言葉をかけてくれた。ブルーベリーが旬の季節にまたお二人の笑顔に会いに行こうと思う。中央線複線化工事の起工(小淵沢?日野春間)「県政10年のあゆみ」より大妻学校創立10周年を記念した文鎮報知新聞社から授与された俳句の賞状 現在から百年前の日本は、明治から大正への変遷期であった。明治天皇が、1912年7月30日に崩御し、改元の詔書を公布、即日施行したので同日は大正元年7月30日となった。 望月英夫さんは、明治43年に、妻の美津さんは、改元した後の大正元年に生を受けた。ご夫婦は大正デモクラシーや第二次世界大戦等を乗り越え温かい家庭を築き上げた。平成25年新春号はご夫婦揃って百歳を超え、合わせて二百二歳の人生を辿った。望月 英夫さん明治43年5月26日生(満102歳)南部町県老連50周年記念50年前、あの頃のわたし元気百歳!望月 美津さん大正元年8月28日生(満100歳)