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大月市甲州市笛吹市甲府市百蔵山岩殿山富士川町北杜市韮崎市昭和町南アルプス市中央市市川三郷町JR中央本高川山九鬼山中央自動車道甲府昭和I.C増穂I.C中部横断道富士急行線JR小海線清里駅河口湖I.C韮崎駅鳥沢宿花咲....
大月市甲州市笛吹市甲府市百蔵山岩殿山富士川町北杜市韮崎市昭和町南アルプス市中央市市川三郷町JR中央本高川山九鬼山中央自動車道甲府昭和I.C増穂I.C中部横断道富士急行線JR小海線清里駅河口湖I.C韮崎駅鳥沢宿花咲宿初狩宿笹子峠栗原石和甲府やまなし歴史散歩甲州街道Ⅱ 甲州市~甲府市甲州街道最大の難所・笹子峠を越えると甲州市大和町に入る。今回は、甲州市大善寺から甲府市酒折宮まで約20kmを歩いた。わたしたちは、山梨県老人クラブ連合会を応援しています。平成24年10月1日発行富士の国 シニア山梨だより秋号(10) 勝沼宿の入口にある大善寺、別名「葡萄寺」。この名は寺の縁起に由来する。 養老2年、この地で修行中の行基が「手に葡萄を持つ薬師如来」の夢を見て感激。その像を安置したという。 この像は、葡萄薬師と呼ばれ、日光・月光菩薩と共に秘仏として本堂(薬師堂)の厨子に納められている。 この日は県立博物館で展示を終えた日光・月光菩薩が返納される姿を拝見出来た。本来ならば、5年に1度の御開帳を待たねばならないので好運であった。 また、武田家滅亡を記した『理慶尼記』と著者の理慶尼の墓が寺内にはある。大善寺が歴史と共に歩んでいる事を感じる。 現在は、藤切会式を毎年5月8日に実施し賑わいを見せている。 参道には、アジサイが咲き、古都・鎌倉を思い起こさせた。 大善寺から歩くこと30分、勝沼宿にある旧田中銀行博物館に来ると、「お寄りになって」と声を掛けられた。声の主は、館の管理をするボランティアの一員、若尾あい子さんだ。 館内に入ると大きな椅子が眼に入る。視線に気付いたのか「頭取の使用した椅子よ」と教えてくれた。 館は、明治31年頃に藤村記念館を設計した松木輝殷が建設した。 明治35年まで、勝沼郵便電信局舎として、使用され、大正9年に株式会社山梨田中銀行が設立される。その後住宅に改修された。 平成9年、国の登録有形文化財となる。翌平成10年に旧勝沼町に寄贈された。 第二次世界大戦中は田中本家に北白川宮が疎開。2階の和室には葵の御紋入りの桐箪笥等、当時の品が残る。 高さを調節する事が出来るランプやらせん階段、引き揚げ窓に、ペンキ木目等、藤村様式を随所に感じた。 明治40年、山梨県で大水害が発生。笛吹川も氾濫し、春日居町の小松から甲府市川田の流路が一夜にして現在の位置に変わった。 江戸時代甲運橋のあたりは、重要な渡しで夏期は渡し船、冬期は仮橋が架かっていたという。 ここに明治7年長さ136㍍、幅6㍍の長大な甲運橋が建設されたが、これも洪水で流されたという。 甲運橋を後にして、和戸、横根等の旧村を過ぎると酒折に至る。 酒折宮は、日本武尊が東征の際立ち寄り、尊と火焚きの翁の歌の問答から連歌発祥の地とされている。 この酒折を過ぎると甲府・柳町宿に入る。 今回は甲府まで。約26・6㌔㍍の出逢い多き散歩旅であった。【大宮五所大神】 山梨市下栗原にある神社の境内では、旅役者や村人による芝居が盛んに行われた。安永元(1772)年に浮世絵芝居の大きな絵馬が奉納されている。【松陽軒長崎】 日川高校前にある和菓子屋。おすすめの“かりんとう饅頭”は、沖縄の黒糖と北海道の小豆のバランスが良く、サクサクして美味しい。【田安家陣屋跡】 山梨市一町田中にある陣屋跡は、8 代将軍吉宗の次男・宗武が興した田安家の代官所があった場所だ。田安家の領地10万石のうち約3~5万石が峡東地方にあった。ふらっと 甲州街道笛吹橋を過ぎると笛吹権三郎の像がある。正中の変で鎌倉から追放された父を追い、この地へ母と共に来たが、洪水に遭い、母を失う。権三郎は笛を吹きながら母を捜索するが、足を滑らせ、母を追う結果となった。それから笛吹川と呼ばれるようになったという。笛吹権三郎散歩コラムよく見ると柵に田中の文字が明治の気品漂う旧田中銀行博物館笛吹川と甲運橋酒折宮・連歌発祥の地あじさいのきれいな参道若尾あい子さん「笛吹市風水害誌」より山梨の古刹・大善寺